空論の法則

電荷間に作用する言葉の相互作用

はてしないタイトル

小説のアイディアがある。

 

ちょっと前に思いついて、自分ではすごく面白いと思ったのだけど、

他の人はどう感じるのだろう。

ミステリで、しかもアイディア勝負のものなので、

公開してしまうのはどうかなと思っていたけれど、

アイディアメモに残して一人で抱え込んで、

殺されてメモを奪われてしまう、

そんな従来のミステリマニアみたいなことはやめた。

 

公開するだけで空論の読者になら絶対楽しんでもらえるだろうし、

これを読んでくれた方のコメントでアイディアが膨らんだり、

そうでなくてもコメント自体が面白くて純粋に楽しめるかもしれない。

 

実際のところ大したアイディアではない可能性もあるので、

勿体ぶらず、とっとと公開して民意に問うのもアリだろう。

逆にこのアイディアで小説を書いてみたいから書かせてくれという方が出てくるかもしれない。

 

そう思って公開してみる。

 

 

 

 

 

 

基本コンセプト

 

この小説の根幹をなすアイディアはいたってシンプルだ。

それは「タイトルが延々300ページくらい続き、小説の中身は1行ていど」というものだ。

 

つまり、その本を最後まで読むと、今まで小説だと思って読んでいた部分は、表紙に書いてあるタイトルもどき(実はタイトルのほんの一部にすぎない)の続きで、長い長いタイトルであって、本文とは一切関係ないものに過ぎない、というわけだ。

 

 

ミステリーなの?

 

最初にアイディアはミステリーと書いたが、これは実は本当でも嘘でもある。

なぜなら、

事件が起こるからミステリーであり、

本文とは一切関係のないタイトルの中で事件が起こるからミステリーではない

からだ。

 

そして、肝心の本文ではタイトルの登場人物の一人の毒にも薬にもならない日常を一行から半ページ程度で書いてある。その内容はミステリーとはほど遠い。

 

では、事件とは何が起こるのか、それは勿論、ミステリーの花形、殺人である。

では、殺人の動機はなんなのか。

これはちょっと大事である。

それは被害者はこの文章がタイトルであることを知ったせいで殺されるのである。

 

すなわちこれはメタフィクションでもある(しかし、タイトルなのでメタフィクションでもない)。

 

しかし、その動機が成立するためには、被害者が自分を物語の中の存在であることを自覚していなければならない。それを実現できるのだろうか。

もちろんできる。

それは私の小さな脳みそではできないが、先人の偉大な知恵を借りれば実現可能だ。

 

それを実現するアイディアが筒井康隆虚構内存在の概念である。

 

虚構内存在とは一言で言えば「物語の中の登場人物でありながら、そこが物語、すなわち虚構の中であることを自覚している者」のことだ。

 

もちろん、実際はもっと複雑な概念なのだが、このブログの読者はこの程度の理解で構わない。もし、興味があって、もっと深く学びたいという方がいたら、藤田直哉虚構内存在――筒井康隆と〈新しい《生》の次元〉 』を強く推薦する。

 

この虚構内存在のアイディアを拡張して、虚構内の登場人物であることは自覚しているが、それが本文なのかタイトルなのかは自覚していない、という登場人物を出せば、動機の成立に関しては解決する。

 

では、被害者は一体どのようにして殺されるのか。

実はここについてはまだ全然考えが進んでいない。

ただ、メタフィクションらしく、凶器はレトリックとかそういう奇抜な殺害方法が良いのではないかと考えている。できたら、連続殺人にしていくつもの奇抜な殺されかたで話を盛り上げたい。

 

そんな小説何になるんだ、死んだ芳子さんは喜ばないぞ!

 

メリットは思いつく限り二つある。

 

一つは、この小説を思いついたきっかけと関係する。

ミステリではアイディア、すなわちトリックが重視されがちである。

トリックが駄目なものは、全くの駄作とまで考える人もいる。

 

作家さんが知恵を絞って、そして文字通り生命を削って書いたミステリが、

「こんなのミステリじゃない」の一言で片づけられてしまう。

 

そんな心無い一言を、Amazonレビューや個人ブログなどで読んで、深く傷ついてしまう作家さんも多いと聞く。

 

そういう状況は私には痛ましく思える。かといって、そんなことを言ってる輩を一人一人名指しで批判していっても仕方がないと思う。はっきり言ってダサい。

 

そこで、発想を転換して「ミステリではない」の批判がほめ言葉となる小説が書けないか、批判を無効化できないかと考えた。そうして思い至ったのが、最初に紹介した基本コンセプトである。タイトルしか批判の対象になり得ないし、タイトルを貶すのはほぼ無意味だ。一方で、そういう小説を書くという試み自体が賞賛の対象となる(かも)という構図だ。

 

この小説には中身がほとんどない。ナンセンスである。そして、私はナンセンスが大好きなのだ。

 

メリットのもう一つはオリジナリティーと関連する。

私はミステリも嗜む程度にしか読んでいないので、古今東西のトリックには精通していない。だから、本書のようなアイディアの小説はすでにあるのかもしれないという疑惑はぬぐえない。

 

ミステリですらそうなのだから、その他のジャンル、たとえば実験小説など他に実現されていそうなジャンルはいくらでもある。ましてや、小説のすべての分野まで網羅しておくなんてとてもできない。

 

しかし、このアイディアがまだ実現されていない可能性は高いと思っている。

なぜならば、現在世界で一番長いタイトルであるとされる小説は

 

『The Life and Strange Surprizing Adventures of Robinson Crusoe, of York, Mariner: Who lived Eight and Twenty Years, all alone in an un‐inhabited Island on the Coast of America, near the Mouth of the Great River of Oroonoque; Having been cast on Shore by Shipwreck, wherein all the Men perished but himself. With An Account how he was at last as strangely deliver’d by Pyrates』

 

で、邦訳は

 

『自分以外の全員が犠牲になった難破で岸辺に投げ出され、アメリカの浜辺、オルーノクという大河の河口近くの無人島で28年もたった一人で暮らし、最後には奇跡的に海賊船に助けられたヨーク出身の船乗りロビンソン・クルーソーの生涯と不思議で驚きに満ちた冒険についての記述』

 

つまり、『ロビンソン・クルーソー 』の初版本であるとされているからだ。

 

だから、このアイディアを実現したら、たぶん世界一の長さをもつタイトルの小説を書くことができる。すなわち、世界記録を塗り替えられるかもしれないのだ。やってみる価値はあるだろう。

 

しかも、ただ単に長いタイトルを狙っているわけでなく、長いタイトルであることが小説を成立させるための必然であるから、下らないわけでもない。

 

まとめないまとめ

いかがだったでしょうか、以上が私が思いついた小説のアイディアです。

すべて吐き出したのでとても気分が楽になりました。

 

私はミステリは予備知識なく読みたい派なのですが、このアイディアに限っては、

メイントリックを知ってても読んでみたいと思えます。

 

もし、このアイディアで小説を書いてみたいという方がいたら、

・必ず書きあげて同人・正規出版に関わらず書籍として出すこと(出版経験必須)

・私の名前を原案者として明記すること

を基本条件に引き受けようかなと考えています。

まあ、私自身がまだ書きあげてなかったらですが。

コメント欄から連絡いただけたらと思います。

印税の分け前の条件などは相談で。

 

また、この記事を読んでこんなこと思い付いたよとか、実はそういう小説すでにあるんだなぁ~とか、それいいねサイコーだよ、などなど、ご意見・ご感想などありましたらコメント欄にお願いします。

 

 

でも、この小説、めちゃくちゃ本屋で注文しにくそう。

 

 

ヘンリー・ダーガー 非現実の王国で
ジョン・M. マグレガー
作品社
売り上げランキング: 80,499